「赤毛のアン」というと、やはり村岡花子氏の訳が定番となっていますね。
美しい自然描写の表現など、村岡訳は私も好きです。
ところで、他の訳本と比べてみると、なんでか村岡訳では削られている
部分があります。物語が長くなりすぎるから...?とかも思ったのですが、
マシュウが死んだ夜のアン心理、夜半に突然泣きだしたアンを慰め、ともに
悲しむマリラの台詞など、簡単に省略されてますね。奨学金を辞退し、
マリラとともにグリーンゲイブルスを守っていく決心へとつながる大事な
場面だと思うのですが。
葬式の数日後、リンド夫人がクスバート家を訪れ、台所の段々に腰掛けて
(だったと思います)しゃべるシーンなんかはまるっきり削られてます。
なぜなんでしょうか?
残念ながら、村岡花子さんがお亡くなりになった現在では、なぜ当該部分が訳出されなかったのか
ということについては、永遠の謎であるとしか申し上げようがございません。抄訳ならばいざ知らず、
新潮文庫版においても、いくつかの単語、センテンスなどが省略されていることは既に広く知られて
いるところです。特定の単語については、(当時の)日本の読者に馴染みがないから省いたという理由
が考えられますが、ご指摘の箇所などに関しては、意図的に省略しなければならない理由が存在いた
しません。明らかに翻訳作業におけるミスであったと、私は考えております。
しかし、たとえそうだとしても、初めて「赤毛のアン」を日本に紹介したことと、その作業が戦時
中のきわめて困難な時代に行われたことを考え併せれば、独自のアンの世界を創り上げたということ
も含めて、村岡さんの業績はいささかも色あせることはないと断言してよろしいかと思われます。
ご返信ありがとうございます。
う〜〜ん。謎なんですね...。長年、なぜ?..と思っていたものですから...。
村岡さんの訳は、巧みな自然描写もいいですが、登場人物の台詞の言い回しなんか
が、アンが生きていた時代に非常に似つかわしく感じられて、好きなんです(^^)
ミスであったとしたら、残念ですね。村岡さんがあのマリラの台詞をどのように
訳出するか読んでみたかったです。
私は、あの部分を読んで、ああいうセリフを素直に言うのはマリラらしくないと思いました。それまでにも、マリラはどんなにアンを愛しているかということをアンに言ったことがなかったでしょう?ああいうことは胸の中にしまっておくほうが、よりマリラらしいと思います。そういう風に村岡花子さんもお思いになったのではないかと私は思いました。他の部分もなにか思うところがあって、削られたのではないでしょうか。
なるほど。そのような解釈もありますか。
私としては、逆に、平素は冷静で寡黙なマリラが、マシュウの死によって、初めて自分の正直な胸中を語る、
象徴的なシーンだと思うのですが。実際、マシュウの葬式で、涙をこぼすことのできないアンとは対照的に、
普段自制心の強いマリラが、このときばかりは人目も憚らず嘆き悲しんでいるという描写がありましたし。
登場人物の死によって、それまでとは違った側面がのぞくという展開は、『アンの青春』のルビーの死でも
登場しますよね。モンゴメリはこのモチーフが結構好きだったのではないでしょうか?
ともあれ、人それぞれの解釈があるってことですね。それだけ、この物語が愛されているということだと思
います。「少なくとも3通りの解釈ができなければ、名作ではない」といふ言葉もあるし(^^)