再放送していたアニメの赤毛のアンを見終わりました。最初に見たのは小学生の頃でしたが、大人になった今、
改めて感動しました。せりふなどもほぼ原作に忠実だったのですが、当時村岡花子さん以外に翻訳本はあったの
でしょうか?完訳というものを最近知ったので。
村岡花子訳の「赤毛のアン」が三笠書房から出版されたのが昭和27年。たちまち大人気になり、
新潮文庫に納められたのが昭和29年。他の人の訳では、角川文庫の中村佐喜子訳が昭和32年、
旺文社文庫の神山妙子訳が昭和48年。講談社文庫の猪熊葉子訳が昭和50年、春陽堂少年少女
文庫の山主敏子訳が昭和52年です。そしてテレビアニメの放映は、昭和54年でした。
他にも昭和30年代に曾野綾子訳とか、神戸淳吉編著とか、白柳美彦文、なんていうなにやら
怪しい雰囲気のがいっぱいあります。
編とか文なんていうのはもちろんですが、曾野綾子訳のもやっぱり怪しい。村岡訳とそっく
りな上、村岡訳で省略されているところは全く同じに略されている。さては確信犯だな(笑)。
さすがの村岡さんも、この本が出たときは曾野さんに抗議の電話を入れたそうです。
他のも大なり小なり村岡訳の影響を受けていて、まったくオリジナルの訳は、角川文庫の中
村訳と、旺文社文庫の神山訳くらいでしょう。
で、アニメの「赤毛のアン」ですが、神山妙子訳をもとにしています。セリフもおんなじです。
アニメの後半部分で、村岡訳にない部分があって、アニメのオリジナルかと思ったら、ちゃん
と原書にはあるんですねぇ。それで村岡訳に欠落個所があるのを知った次第。
今、何種類か出ている「完訳版」だって、本当に完全なものはまだないようです。
たとえば、完訳を売り物にしている、講談社の掛川恭子訳も、冒頭のブラウニングの詩の引用
がありません。
「赤毛のアン」はブラウニングにはじまり、ブラウニングに終わるところに意味があるのです。
読者がそれを知らないまま終わってしまうのでは、作品に対する冒涜のような気がします。と
言ったら言い過ぎですか?
「赤毛のアン」のブラウニングの詩については、こちらにあります。
http://ya.sakura.ne.jp/~inetwork/pei-club/peiforum/maud/wforum.cgi
ましうさん詳しい解説をありがとうございました。
神山妙子さんの翻訳本を読んでみたくなったのですが、現在は手に入るのですか?
ましうさんがお忙しそうなので、余計なお世話とは承知の上で、とりあえず私がお答えします。
神山妙子さん訳の旺文社文庫版「赤毛のアン」は、確か現在絶版となっており、一般の書店では
購入できないはずです。図書館もしくは古書店でお探しになられることをお勧めします。インタ
ーネット経由での購入も可能です。詳細は、こちらをご覧下さい。
http://www.win.or.jp/~kaz-a/kogundo/pe_1.shtml
みるね・・・じやなくて小鉄様、代返感謝します。
二つ上のスレッドで同じ様な質問に答えたので、あえて省略と決め込んでおりました。
旺文社文庫は絶版ですが、神山訳は「新学社文庫」と言うのに同じ訳で収められています。
ただし解説はありません(旺文社文庫は詳しい解説が売りでした)。
新学社は一般の書店ではなく、学級文庫や学校図書館に納品する業者のようです。
ええっ、欠落箇所って? そんなのあったんですか?
村岡訳しか、見ていない私。
しかし、アニメを完璧に見ていたはずなのに、・・。
どうせ宮崎さんが関わっているからと、大目に見ていたのでしょうか。
思い出せない。
あらま、ここにも新しい書き込みが。
村岡訳は、古いけれどもきれいで正しい日本語で、私は大好きなのですが、
誤訳が多い上に、欠落個所があちこちあるので、残念だけど研究には使えないのです。
冒頭の第一ページの始めから、いきなり省略があります。
最後の2章に至っては、3分の1ほどの長さしかありません。
しかも、マリラがアンに心のうちを打ち明ける、物語のクライマックスが、
ばっさり切られてないのです。なぜかはわかりません。
ここがアンが題名通り「グリーンゲイブルズのアン」になるシーンなんですがね。
ぜひ他の訳もお読みになって、物語のテーマを見つけて下さい。